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2020年5月22日

ツーリズムデザインで地域が輝ける元気な日本をプロデュース 霜竹弘一さん

サービスマネジメントとデジタルメディアによる顧客体験デザインのスペシャリストである霜竹弘一さん。総合商社に8年勤務後、インドネシアと日本で起業し、ネットとリアルが融合した新旅行サービスを展開してきました。様々なウェブ&リアルサービスの新規事業立ち上げに参画後、デジタルマーケティングソリューション会社に入社。システム開発のプロジェクトマネージャーを経て、取締兼執行役員を務めます。その後、2019年に新会社「あめつちデザイン株式会社」を設立。「顧客デザイン」と「デジタル技術」を用いて、日本各地の様々な魅力を国内外に発信し、地方のツーリズムを変革することにより「地方創生」に取り組まれています。ファイナンス、開発技術、旅行を自身のバックグラウンドにして勢力的に活躍する霜竹弘一さんにお話を伺いました。

 

 

ボーイスカウトでの経験が自分の根底に

小学5年生から大学生までずっとボーイスカウトに入っていました。その時に培った「利他」「奉仕」の精神がずっと自分の根底にありますね。自分たちの会社だけが儲かればいいというわけではない。地域の皆さん・行政・民間企業・・・みんなが良くあるべきだという考えを、自社のビジョン・ミッションの中にも掲げています。どう自然を慈しみ、どう利他に務めていくのかというのが自分の根底にありますね。一方で、民間企業は利潤も追求していかなければならないので、なかなか社会課題に取り組むのが難しい。だからこそそういったビジネスモデルを長期的に考えながら、実現していきたいと思っています。

 

 

インターネットで旅を変えてみたい!

大学卒業後は、総合商社に勤務しました。主に商船、巨大タンカー(VLCC)などの大型の商船を売っていましたね。資金調達をして世界中の商船を持つオーナーに船を所有してもらい運航してもらうかの仕組みを組み立てる仕事、いわゆるプロジェクトファイナンスをやっていました。商社には8年ほど勤めていたんですけど、ちょうどその頃、1997年あたりにwwwがウェブの世界に普及してきたんですよね。それに感銘を受けまして。人と人や、人と企業の間の垣根が取っ払われて繋がる世界がやってくる、その時にビジネスにも大きなパラダイムシフトが起きるだろうと直感的に思ったんです。それで、「今、自分が何かしなきゃいけない」という焦燥感に駆られたんですね。とにかくネットで何かをしてみようって思ったんです。

その時に立ち上げたのが旅行の情報サイトでした。旅が好きで、たまたま趣味のサーフィン目的で訪れたインドネシアのバリ島で、現地の絵画のアーティストと2人で「インターネットで旅を変えてみるか!」という話がきっかけで。お金がなかったから中古のノートパソコン2台を買って。まだダイアルアップの時代に。「ピ〜ヒョロヒョロ〜」とか電話の音を聞きながら(笑)そうやってはじめました。それから、旅行の総合サイト、ポータルと予約サイト、プライベートなガイドツアーそういったものを盛り込んだトラベルクリエイトサービスを2000年にスタートさせ、インドネシアと日本で法人を設立しました。

 

起業3日でお金が底をつき、パン一食の生活に

それから起業するために会社もやめて、単身インドネシアに渡りました。国民金融公庫に頭下げまくって、300万借りて、それを握りしめて行きましたね。でも、その300万がたった3日でなくなっちゃいましたね。従業員が二人、会社に入ってくれたんですけど「足がない」って言うんですよ。インドネシアって公共交通機関がなくて。バスとか電車もないから車を2台買いました。それで所持金がすっからかんになっちゃいましたね。それからは毎日一食100円の屋台のパンを買って、それだけで食べていく生活が2~3ヶ月。さすがに身体を壊しちゃいまして入院しちゃいましたね。従業員の給料を払うことを優先してたら屋台で売っている焼きパンしか食べられなかったですね。

そうやって起業して、「日本の旅行会社の旅行は画一的で面白くない、もっと自由でわがままであるべきだ」と言う思いでやってたので、当時はセンセーショナルで面白いと言ってたくさんの人が使ってくれてましたね。そして、インドネシアのオンライントラベルのカテゴリ(LYCOS)の中ではトップになりました。そこで、日本のアクティビティツアーの中ではトップの現ベルトラ社(当時アラン株式会社)が世界戦略として、インドネシア・バリではうちの会社を仲間に入れたいと話してくれて。M&Aをして、一年半くらい執行役員、その後CMOとして環太平洋の戦略立案などをしてました。でもそろそろ日本に帰りたくなったんですね。当時、アラン社はハワイにあったんですけど、インドネシアからハワイへと自分はいつまで島を転々としてるんだと思ってしまったんです(笑)

 

 

自分の人生の集大成として

帰国してからいくつかの企業で新規事業のスタートアップを手伝って、2011年にソフトウェア開発会社に入りました。システム開発のプロジェクトマネージャーを3年程務めた後、取締兼執行役員を4年程任され、このキャリアの中でシステム開発のノウハウを学びました。

そして、これまで培ってきた旅行、ファイナンス、開発技術の知識と経験を生かして、自分の人生の集大成をやりたくなったんですね。バリという日本とは関係ない場所で旅行をプロデュースし、日本に戻って来てからは開発技術を得ることができた。この二つがあれば、日本の社会課題に微力ながら協力できるのではないか、それらをライフワークにしていきたいと思い、2019年7月に現在の「あめつちデザイン株式会社」の起業に至りました。だから、人生の全てに無駄はなく、全てが繋がってるんですね。そしてこれからもずっと学びです。

日本の地方にはまだまだ観光資産が眠っている。文化・ものづくり・豊かな自然など様々な魅力を活用することで、世界中のツーリストに日本各地を訪れてもらい、お金を落としてもらい、資金を回してそれらの魅力をさらにアップさせていく。継続的に地方にお金が落ちる仕組みを作っていくことで、地方創生に取り組んでいます。

 

 

経営者は映画でいうと監督、主役はスタッフ

スタートアップというのは、一人何役もやりながら限られたリソースの中でやっていこうか、乗り越えていこうかというのが課題・問題の連続。以前の起業の時は、全部自分で何とかしよう、というプレッシャーがあったんですけど、今回は自分でなんでもやるのではなく、人に頼り人にお願いをする、皆さんに自分と一緒に頑張ってもらう、人に託して委ねる。みんなが期待されていると感じて、経営者が背負っているものを一緒になって背負ってくれるんですよね。自分が主役ではないというマインドを持つことで、リソースが沸いてくれるんですよね。経営者は、映画でいうと監督、役者はスタッフなんですよ。彼らは自分よりプロであって自分は何もできない、演者が輝けるように盛り上げていくんですよね。そうすることによって、自分がやってあげよう、手伝ってあげようという人が出てくるんですよね。お金はもらえなくてもいいと昔のデザイナーやエンジニアがきてくれたり・・・。昔と違うのは気持ちの持ち方なんですよね。具体的な方策は手段だけではなく経営者の「心の持ち方」を考えるといいんじゃないかなということを学びましたね。このことをいま改めて実感していて、今後も自分のポジショニングはそうありたいと思っていますね。

 

オススメの本

成功者の偉業にスポットライトが当たって、成功体験をきくのはみんな気持ちがいいですよね。でもこの本はなかなかスポットが当たらない起業の裏側にスポットが当たっています。あの「しくじり先生」みたいな感じですね。リアルな話が書いているのがいいですよね。理論や成功事例だけではなく現実に起きることから学ぶことがいいと思うんです。これは物語風に書いてあリますが全て神田先生ご自身の体験ですよね(きっと笑)。学びのストーリーがあります。

 

霜竹  弘一(koichi Shimotake)

あめつちデザイン株式会社

代表取締役社長兼CEO

大学卒業後、総合商社に8年間勤務した後、トラベルクリエイトサービスを2000年にスタートさせ、インドネシアと日本に法人を設立。インドネシアのオンライントラベルのカテゴリ(LYCOS)でトップとなる。現ベルトラ社(当時アラン株式会社)とのM&Aで同社執行役員・CMOを務める。
帰国後はいくつかの企業で新規事業のスタートアップを展開、2011年ソフトウェア開発会社に入り、システム開発のプロジェクトマネージャー、取締兼執行役員を歴任。
2019年、あめつちデザイン株式会社を設立。

人間と環境を中心に据えた顧客体験デザインとデジタル技術を用いて、日本の各地域が持つ美しい自然や奥深い文化、受け継がれる伝統やものづくりの技能など様々な魅力を国内外に発信し、地方のツーリズムを変革することにより地方創生に取り組んでいる。